人生で初めてのねんざを経験してから約2ヶ月が経とうとしています。
ねんざをした当初は足を引きずらなければ歩けない状態が続きましたが、1週間もすると日を追うごとに目に見えて回復をしていきました。
このまま案外あっさりと治ってしまうのでは・・・という期待は甘く、あれから3ヶ月が経とうとしていますが未だに痛みが残っています。
そしてねんざした箇所が痛むたびに・・・あの時のことを後悔してしまうのです。
ねんざのその後
ねんざをした時のことは以前のブログにも詳しく書いています。
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ひどいねんざをしたとは言え、骨折ではないということだけでも不幸中の幸いと言わなければならないでしょう。
もしあの時骨折してしまっていたら、骨にひびが入っていたら・・・と思うとぞっとします。痛みだけでなく、家族の負担を考えると本当にねんざで済んで良かったと感じます。
ケガの治り具合は人それぞれあるかもしれません。私のような年齢になってくると、若いころにするケガとの治りとは違ってきても当然です。
ケガをしたばかりの時は日に日に回復していったので内心「結構簡単に治るかも」なんて高をくくっていました。
しかし当然のことながらそううまくいくはずもなく、今もなおちょっとした痛みとともに暮らしています。
現在の痛みは
今現在は日常生活を難なく送れているので困ることはありません。生活の中で少々不便なことといえば、階段を降りる時に少し痛むことと、あの時のことを思い出すと降りるのが怖くなることぐらいでしょうか。
私の場合、足首を外側にひねって着地したためか、今も外側にねじる動きに痛みを感じます。ねんざして気づいたことですが、足首を外側にひねる動作というのはとても多いということ。
先ほども書いた階段を降りる時の痛みもそうで、足を後ろ側に蹴り出す際に若干外側にひねりが入るようで、それで降りるのに少々苦労しています。
それから正座に痛みがあります。洗濯物を干すときに正座するのですが、均等に体重をかけることができず、どうしても右側に体重を寄せてしまいます。
また、ヨガでは安楽座が未だにできず、ねんざをした足だけ床から浮いてしまっています。
時間をかけて股関節をゆるめ、やっといい感じになってきた矢先だったので、また関節が固まってしまっていることが悲しいですが仕方ありません。
痛みよりも後悔が強い
歩くたびに、またヨガをするたびに思い出さずにはいられないねんざをしたあの夜のこと。なにより、ねんざをする前のいらだった気持ちを今でも鮮明に思い出します。
以前のブログにも書いた通り、階段を降りる際に家族の電気の消し忘れに強い苛立ちを感じながら降りました。
そして実は寝る前に主人とちょっとしたことで頭にきてしまったことがあり、それも含めて電気の消し忘れ程度のことで強い苛立ちを感じてしまっていたのです。
そこにきてのねんざ。
ねんざした瞬間は「あ、バチがあたった」としか思えませんでした。ねんざをする直前の心の中はさぞかし真っ黒だったでしょう。
バチがあたったというか、「私が引き寄せた」という見方もあります。寝る前のちょっとしたこととは、主人が私や家族を大切にしてくれないと勝手に感じたことでした。
でも私がねんざしたことで、その後主人はとても優しくなり大切に扱ってくれたのです!
結果としては自分の思い通りになったのでしょうが、だとすればなおさら後味が悪いです。何も体を傷めつけてまで優しさを引き出さなくとも、主人はもともと優しいはず。
それを受け取れなかった自分の方に問題があったのだから・・・
ねんざの痕が痛むたびにそう後悔してしまうのです。
くだらないことで自分の体を傷つけてしまった、パートナーに対して疑う心を持ってしまった。悔やんでも悔やみきれません。
そして起こってしまったことはどんなに悔やんでももとには戻せないのです。
だからねんざの痕が痛むたびに、優しい気持ちになるように、人に対して感謝の気持ちを抱くようにという戒めとして受け止めています。
悔やんでも仕方ないけれど、二度と同じような気持ちにならなければいいのだから。
そう痛みを受けて止めるようにしています。