冷えとり健康法といえば、頭にパッと浮かぶのが靴下の重ね履きでしょう。
冷えとり健康法において一番目立つところというか、もちろんとても重要なアイテムなのだけど、そこだけ独り歩きしてしまっているような気もします。
でも体の冷えをとるのは、靴下の重ね履きよりも半身浴よりも、もっと大切なことがあるのです。それは「感謝する気持ち」です。
朝のスタートを感謝と共に始めてみる
・・・というようなことを書くと、なんだか胡散臭いですよね。私もそう思います。というか、多分人よりもすごくそう思います。
ただでさえ「冷えとりって宗教?」と思われやすいのに、その上「感謝しましょう」なんてアルカイック・スマイルを浮かべた日には・・・回れ右して全力で逃げ出したくなります。
そもそも「感謝」なんて意識しなくてもしていることだと思うのです。
レジでお釣りを受け取っても小さく感謝するし、車を運転していて横道から本線に入れてもらえただけで「ありがたいなぁ」と思うし。
もちろんそういう日々の感謝は人として当たり前のことだと思うのですが、こういうことって流れにまかせているというか、感謝のルーティンみたいというか?
「感謝癖」であって心からそう思っているものとはまたちょっと違うような気がするのです。「感謝を意識する」ということが大事なのかなぁと。
これまでも何度か書いていると思いますが私は朝、目が覚めて起き上がる時に「今日も新しい朝をありがとうございます」と心の中で唱えてから体を起こします。
もう習慣になっているので忘れることがありません。そう唱えてから体を起こすというのが起床の際の流れになってしまっているのです。
この習慣だけは、なぜか心と共にセットになっているので、流されるように感謝しているのではんく、一日の始まりを心からの感謝と共にスタートさせています。
毎日不安になることや心配事や心が暗くなることなど、浮かんでは消え浮かんでは消えしていますが、それでも新しい一日を迎えられたことが本当にありがたく感じるのです。
強い冷えを生み出す原因、それは素足でもシャワーだけの入浴でも暴飲暴食でもありません。何より強い冷えを生み出しているのは自分自身。心に抱えるストレスが1番強い冷えを作り出します。
私もこの自分が作り出す冷えには苦労してきましたが、今ではストレスさえも感じられることに感謝するようになりました。
というのも、年齢を重ねてくると自分だけでなくまわりの人達にもいろいろな変化が起きてきます。悲しいことになったりすることも中にはあるけれど、自分はとりあえず健康で元気に過ごせている、それだけでも十分感謝に値することなのではないか?と思うようになりました。
そうなると、ストレスを感じる自分にすら愛おしさを感じてくるし、「ストレスを感じるような状況であること」すら感謝出来るようになるのです。
おかげで私は、今ある冷えは純粋に食べ過ぎや気温の変化によるものだけのような気がします。強いストレスを抱えていないというのはなんて楽なのでしょう!
朝のスタートを感謝の気持ちと共に始めてみる、もしかしたらたったそれだけのことでストレスを生み出すスパイラルから抜け出せるかもしれませんよ(^-^)