飽きっぽい私が、長く続けられていることは少ないですが、
その中でも冷えとりは長く続いている方です。
いろいろなことに興味があり、
「これは!」
と思うと飛びついて、材料なんかも一気に揃えたりなんかして、
とりあえずやってみないと気が済まない性分。
さすがに高いものには慎重になりますが、
飽きてほったらかしにしても諦めがつく値段のものであれば、さっさと次の興味に向かってまっしぐら(笑)
それに対して罪悪感を抱いていましたが、
冷えとりで心の冷えをとったおかげか(?)、こだわりを手放せるようになり、
ひいては罪悪感すらも手放せるようになってしまいました
以前なら、
「もったいない。 もっと慎重にならなきゃ。我慢をしなきゃ」
と暗い気持ちになったものですが、今は
「また一つ、話の引き出しが増えちゃった」
と、経験値を積んだと納得できるようになりました。
とまぁ、それくらいいろいろなものを試し、
失敗したり、飽きてしまったりしたものがたくさんあったわけですが、
そんな中にもいくつかは続いているものがあり、それがライフワークになっていたり。
自分に合うものを、そこだけまっしぐらに見つけることができればいいのでしょうが、
私は好き嫌いが結構ハッキリしているので、何事も自分でやってみないことにはわからないのです。
冷えとりを始める時ですが、冷えとり靴下のセットは割とお高いので、
最初は珍しく慎重になっていました。
まずは、手持ちの靴下を重ねばきしてみて(きつかったですが)、
何日か過ごして、
「これは続けられそう」
と思ったから、本格的に始めることができました。
多分、冷えとりは自分の性分にあっていたのでしょう、
今年の秋で4年目になりますが、多少スタイルは変わったとはいえ、続けている、続けていくことに変わりはありません。
そもそも、「多少のスタイルが変わった」 のだって冷えとりを続けていたからこそ。
私の場合、体に大きなめんげんが出ることは少ないですが、
その代りに、メンタル面でめんげんのような変化がたくさん起きました。
さっきも書いた、「手放す」 というのも冷えとりを続けてきてできるようになったこと。
本来は、頑固でこだわりが強くて、よく言えば真面目、悪く言えば「頭が固い」 タイプ。
周りにいる人も迷惑だったでしょうが、
実は自分が一番辛かったりします。
なんていうのでしょう・・・
自分の中に、「こうでなければ」 という強いこだわりがあり、
本当はやりたくなくても 「やらなくては」 と、何かにやらされているかのようにやることも多く、
かといってそれをやったからといってスッキリするわけでもなく、
あとにはぐったり疲れた体と、我を通した罪悪感が残るという・・・
それが、冷えとりを続けてきて、いくつかの段階を経て、
今ではずいぶんこだわりがなくなったように思えます。
こだわりで、手放せない思いでがんじがらめだったのに、
今は
「ま、いっか」
で流せるようになり、本当に楽になりました。
そして冷えとりに対しての考えも、
始めたばかりの頃は
「~でなければならない」
「~と本に書いてあるから」
という、今思うと 「優先順位が違うよね^^;」というところにしばられていました。
自分の体のことは自分しか知らないのに、
万人に向けた言葉に自分をあてはめようとしたら、どこかにゆがみが生じるのはわかりきったことなのに。
もちろん、ある程度は本に書いてある通りに実行した方がいいこともありますし、
実際、私はそういったいわば「基本」のようなことを面倒くさがって飛ばしてしまい、
結果、遠回りしてしまったと感じることも多々ありました。
この辺のバランスですね。
バランスがうまくとれれば、何事も上手くいくような気がします。
基本に忠実に実行することも大切だし、
固執しないことも必要だし。
私は不器用なので、それがわかるまで3年以上かかってしまいましたが、
きっとその年月が必要だったのでしょう。
冷えとりは、重要なポイントがいくつかありますが、
そこにこだわり過ぎず、自分の体の声に耳を澄ませつつ進めていくのが、長く続けていくコツかなぁと思うのです。