冷えとりを始めてから、今年の秋で4年目に突入するわけですが、
めんげんも変わってきたような気がします。
というのも、1年目はおもに体に表れていためんげんが、
2年目、特に昨年は精神面に強く表れた気がするのです。
まだ冷えとりをする前は、
自分のくよくよした性格や、物事を引きずる性格、いつまでもぐずぐず悩む性格が嫌でした。
何事もポジティブに受け止め、前を向いて生活していきたい、
そのために、自己啓発本も何冊も読んできました。
その度に、啓発本で得た知識で自分を変えようと試みましたが、
最初はうまくいくようでも、結局あとになってしわ寄せがやってくるのです。
そしてまた次の啓発本に・・・という繰り返しでした。
結局、どんなことをしても もって生まれた性分は変わらないものなのか、
最後の頃にはそうどこかで諦めていたのでした。
ところが、足が冷たい、体が寒いということを解消したい一心で始めた冷えとりを、
毎日コツコツと続けてい行くうちに、
あれだけ固執していたものが、ふっと手放されている瞬間に気づいたのです。
これは衝撃的でした。
ものに対しても、気持ちに対しても、相手に対しても、
執着心が強く、そのために人を恨んだり、部屋が片付かなかったりと、
手放せないでいる弊害を感じてきました。
でもそれを、相手と真剣に付き合うからだ、とか、
物を大事にしているからだ、と自分に都合よく納得しようと思っていたのです。
例えば車。
私は車を大事に乗るあまり、今思うと本当にバカバカしいのですが、
強い執着がありました。
こんな風の強い日に出かけたら、隣に止めた車のドアが風にあおられてぶつけられるのではないか?
店内への距離が近い場所は車が混雑してあるから、わざわざ遠い、車が停車していないところに止めて歩いてこよう。
本当にこう思っていました。
でも、そういう強い思いって、逆に引き寄せてしまうことがあるんです。
絶対に車に傷をつけたくない、きれいなまま乗りたい。
そう思うがあまり、外出をしないこともありました。
が、ある日主人が外出から帰ってくると、
「ゴメン・・・車をぶつけちゃった・・・」
と言うのです。
涙が出てきましたし、悔しくて悲しくて、主人と口もききませんでしたし、
しばらくはどこに行くにも私が運転し、主人には車に触らせませんでした。
でもそんな生活は必ず無理が来ます。
結局、どう解決したかといえば、
「感情を手放す」
ことだったのです。
主人を許せない。
車が傷ついた。
主人には車を乗らせない。
そういう感情をすべて手放しました。
そして、
「車は生活を便利にする【物】なのだ」
と自分に強く言い聞かせたのです。
たったこれだけで、どんなに心が軽くなったことか。
そしてきっと、心の冷えもとれたでしょうね。
良い加減に いい加減。
その時にふっと浮かんだ言葉です。
「いい加減」 というと悪い意味合いで使われますが、
「良い加減」 ならいいのではないかなと。
そして、結果的には 「いい加減が良い加減」 になると思うのです。
手放せると なにより自分が楽になります。
諦める、というのとはまた違うのです。
「タイミングが合わなかっただけ」
と、良い風に考えられるようになったのです。
都合がいい解釈??とも言えますが。
とにかく、冷えとりを続けたおかげで、
嫌いだった自分を受け入れられるようになった、ということは大きかったです。
さぁ、今年は冷えとりでどんな変化がおきるのか。
楽しみです。