先日いただいたコメントの中に、
「また靴下をたくさん履いているの?と言われる」
という部分があり、これにとても共感したので今日はこのことを書いてみたいと思います。
コメントを寄せてくださったきょうこさん、ありがとうございます!
自分の中でどう折り合いをつけて考えるのか
実は私もこの「まだ靴下を何枚も履いてるの?」という言葉をよく言われています。
実際、今履いている靴下はたったの3枚なのですが・・・
ん? 3枚でも冷えとりをしていない人にとっては多い枚数なのかな?^^;
でも冷えとりを始めた頃のように4枚の重ね履き、そしてその半年後には6枚・8枚・・・と増えていた時に比べれば「すごく少ない」と思えます。
「いずれは自分も10枚の重ね履きとかになるのだろうなぁ」
と思っていたので、まさか減るだなんて思ってもいませんでした。
靴下の重ね履きが増えるではなく減った理由の一つとしては、自分にあった冷えとり靴下との出会いもあるし、冷えとりに抱いた単純な疑問ということもあります。
その結果、今はほどほどの重ね履きをしながら筋力をつけて冷えを改善、という方向性になったのですが。
でもここに至るまでにはそれなりの重ね履きを経験してきたからこそであり、その過程を一部始終見て来た人にとっては確かに
「まだ靴下をたくさん履いてるの?」
という疑問が湧くのは仕方ない事なのかもしれませんね。
この言葉を言われるたびに、ほんのちょっとだけムッとしている自分に気付きます。
相手は悪気があって言っているわけではなくて、純粋にそう思っただけなのでしょうが。
ムッとする理由としては
「自分は前に進んでいる、いつまでも以前のままじゃないんだ」という思いや
「そうやって冷えとりをバカにして・・・」
というような思いがあるのだと分析しています。
ただ先ほども書いた通り、言った相手は悪意があってそう言ったわけではなく、もしかしたらあいさつ程度の軽い気持ちだったのかもしれません。
私に対する情報が、
「靴下を何枚も履いている人」
ということが最新情報のまま止まっているという事もあるだろうし(笑)
でもやはり冷静に考えてみると、自分の心のどこかに
「冷えとり靴下の重ね履きってやっぱりちょっと他の人から見たら異常かも・・・」
という負い目のようなものがあるのから、悪い方に悪い方に感じてしまうのかもしれません。
今は女優さんやモデルさんも冷えとりをしていると公言してくれるようになり、世の中的には大分冷えとりも認知されてきたのでは?と思います。
それでもやっぱり、あの靴下の重ね履きは相手を驚かせてしまったのだろうなぁ・・・と今となってはちょっと反省です。
しかもそれが身内であったなら、驚きを超えて心配させてしまったであろうことは今考えればよくわかります。
「冷えとりって宗教なの?」
よくそう言われているようですが、身内であればなおのこと、心配からつい出てしまう
「まだ靴下をたくさん履いてるの?」
という言葉なのかもしれませんね。
冷えとりを始めたばかりの頃は、やる気と入れたばかりの知識でパンパンになっていて、さらには
「何とかして知り合いにこんな良いものがあるのだよということを教えてあげたい!」
という使命感みたいなものに燃えていて(笑)
アツく語れば語るほど怪しいものになってしまう冷えとり健康法。
のちにそれに気づいてからは、むやみに誰かに冷えとりを勧めることはしなくなりました。
今思えば、見せびらかすように冷えとりをせず、一人で淡々と楽しんでいればよかったかなとも思います。
どこかに出かける時も、何枚も重ね履きをして大きな靴を履いて・・・などとせず、そんな時位は靴下を脱いで普通の格好で出かける、という位のおおらかな心を持っても良かったなと。
いくら自分には冷えとりの知識があって、怪しいものではないということはよくわかっていたとしても、大切な人たちを心配させてまで押し通すことではないと今は思います。
自分は冷えとりをしているから足も暖かいし、今後はもしかしたら病気になる心配もないかもしれない、そんな素晴らしいものを大切な人にも教えたい、という気持ちは時としてエゴにもなります。
ましてや相手を心配させてまでなんて・・・
これではいつまで経っても「冷え」は取れないのかもしれませんね。
もちろん冷えとりを否定しているのではありません。心配をさせず、なおかつ冷えとりと上手に付き合っていく方法はいくらでもあったなぁと、今だからこそ振り返ることが出来るのです。
もし今後私が誰かに
「まだ靴下をたくさん履いてるの?」
と言われたら、なんて答えるだろうなぁ・・・
コメントをくださったきょうこさんのように、
「わからない人にはわかってもらえなくていいかな」
と思えるといいのですが^^;