先日、ペディキュアの写真を撮った時にも感じたこと。 元々「爪先のおしゃれ」にはあまり興味があった方ではありませんでした。 塗ったらはげるし、それをきれいに保つというような女子力は昔から低かったので(笑) 「ジェルネイル」が登場した時、これ ...
冷えとり靴下の下の真っ赤なペディキュア
「あれ? 私の足の指って、こんなに短かったっけ・・・?」
いえ、正確には指が短いというよりも、足の長さに対して指が短く縮こまっている という感じ?
イメージ的には
「退化してる」
と感じたのですから・・・これは立ち止まって考えるべきことかも。
まるでおたまじゃくしの足のよう
それを感じるのはこちらの小さい画像の方がいいかもしれません。
この小さなサムネイルの写真を見た時にそう思いました。
まるでおたまじゃくしが成長する時に足が出て来た時のような、そんなバランスの悪さを感じたのです。
いつからこんなだったのか?
それとも常に冷えとり靴下を履き、自分の足の指をまざまざと見ることなどあまりないから?
足の指の長さが目に見えて短くなることなど考えられないことです。
ただ、実際に短くならなくとも、足全体がアンバランスになるということはあるかもしれません。
フト頭に浮かんだことは、
「足の指を踏ん張ることがあまりなくなり、次第に足の指が小さくまとまってきた」
ということ。
「小さく」というのは短くなったということではなく、五本がキュッと縮こまって小さく見えるということです。
「冷えとりをしているから大丈夫」は傲慢?
これまで冷えとりを始めて以来、五本指靴下を履き続けてきて、多分五本指靴下を履いていない人よりは足の指に意識がいきやす、と思っていました。
毎晩お風呂上がりに五本指靴下を履くのですから、その都度足の指を開いて靴下の指一本一本に入れる作業をしています。自然と指に意識はいくでしょう。
しかもその時に、足の指をじゃんけんでいえば「パー」の形に扇状に開く動作をしているのだから、冷えとりをしている人は誰よりも足の指を意識している、と思っていました。
ここでふいに恐ろしい気持ちに襲われました。
「冷えとりをしているから大丈夫、という気持ちになっていないか?」
ということです。
冷えとりは冷やす生活よりは良いし、足元が暖かいということで得られる安心感や、頭寒足熱と言った体全体のバランスが整うという良い面がたくさんあります。
しかしその延長で「病気が治る」という部分がどんどん一人歩きしてしまい、いつの間にか
「冷えとりをしてさえいれば大丈夫」
という気持ちになってきてしまっているような気がするのです。
それではあまりにも本末転倒。
健康は本来自分が作るもの・育てるものであり、何かに任せきりでは得られないものだと思うのです。
きくち体操で足の指も育ててみる
そもそもそんなことに気付いたのも、きくち体操を始めたからかもしれません。こんなに足の指をグリグリとしたり、押したり引っ張ったりすることなんてこれまであまりありませんでしたから。
私が持っているDVDの中にも、菊池和子先生の言葉でぐっとくるものがたくさんあります。
・この小さな面積で私たちの体を支えてくれている
・どう動かすと体のどこにどういいのかを常に考える
・自分の体は自分で育てる
ここでは書ききれないほどの胸を突く言葉のオンパレード。そしてきっとこの先同じDVDを見ていても、胸に響く言葉はその時々の体や心の状況で変わるのでしょうね。
自分の健康を人任せ(冷えとり)にしない
これは今後の私の指針になりそうです。
足の指が縮こまっていると感じとれただけでもラッキーでした。これからは意識して足の指を触ってあげよう!
今までは冷えとりに任せっぱなしでしたが、自分の体は自分で育てていく、冷えとりはその中の一つの手段に過ぎないということを、肝に銘じて行きたいと思います。