今年の三月に急に思い立って靴下の重ね履き枚数を、それまでの6枚から4枚に減らしました。その時はなんとなくそうしたいと思ったのと、寒い時期にも関わらず4枚重ね履きでも寒いと感じなかったから。
そこから「冷えとりだけに依存しない冷え性解消」をめざし、冷えとり第二章とも言える冷えとり生活を続けてきました。
そんな中、フト思うことが。
体が自然と鉄分不足を解消するようにしむけていたのかも
The Ginkgo in Autumn / Jocey K
それまで冷えとり半身浴をして、汗をダラダラ流れるのが快感★に近い感覚がありました。これは、自分がそれまであまり汗をかく体質ではなくて、ちょっと運動したくらいでは汗はにじむ程度。ダラダラと「流れ落ちる」ということは皆無に等しかったため、その汗を楽しんでいました。
汗をかくということは、日常生活であれば困る場面も出てくるでしょうが、お風呂に入っている間であれば、化粧が落ちる心配もない・汚れはお風呂場で流せばいいと思えるし、なにより「デトックスしてる~!!」という実感が沸くというもの。やはり目に見える効果というのは嬉しいですものね。
ところが靴下の重ね履き枚数を減らしたのとちょうど同じ時期から、半身浴が苦痛になってきたのです。
その時はどういう心境の変化なのか、自分のことなのによくわからず、「冷えとり実践者として発信している身なのに半身浴が苦痛なんて・・・」と悩んだこともありました。
なるべく20分だけでも・・・とお湯に体を浸すようにしましたが、以前のように楽しいからではなく義務的になってしまい、どうしてこんな風な気持ちになってしまったのか、狐につままれたような気分でした。
そのうち気温も高くなり、少しお湯につかっているだけでも汗が流れるようになってきましたが、そうなると今度は
「出なきゃ」
と思うようになってしまい、慌てて湯船から出るようになってしまいました。まるで、汗がお風呂から出るサインのように。
汗をかく、ということが嫌なのだと割り切り、「こういうこともあるさ」と自分で自分を静観視できたのが唯一良かったことでしょうか。昔ならそういう自分を嫌になることも多かったので。これが私の最大の「冷えとり効果」かもしれません。心のめんげんがとれ、考え方が大分前向きになりました。
その後、ブログでも報告してきたように、鉄分不足かもしれないという症状が続いたため、フローラディクスを飲み始め、今ではこれまで不調と感じていたことが全てなくなりました。
と同時に、半身浴をして汗をかくということがまったく不快ではなくなったのです・・・
鉄分不足が解消されつつあるのと、半身浴をして汗をかくことが嫌ではない、ということは一見全く関係ない事のように思えます。実際関係ないのかもしれません。でも、私にはどうしても思い当たる節があるというか、そうであろうとしか考えられないのです。
それは、
体が汗を一緒に鉄分が流れ出るのを必死に抑えていた
ということ。
汗と鉄分の関係に関しては 関係あると確証を得た ので、多分そういうことだと思います。というか、身体が抑えていたというよりも、私の中の無意識の中でそういう危険信号が点滅していたのかもしれませんが。
あの時、「冷えとりをしているのだから半身浴はしなければいけない」と、身体や心に反して無理矢理半身浴をして汗を流していたら、もしかしたらもっと大変なことになっていたかもしれません。以前の冷えとりをする前の自分なら、「ねばならぬ」の党首だったので(笑)、身体の声も聞かずに無理を通したでしょう。
身体の声に沿って、身体の声を聞いていれば、大きく間違えることはないのだなぁと感じた出来事でした。
忙しさに身を任せ、「生活のテンプレート」に自分を当てはまるのは簡単で楽なこと。いえ、フレームワークを悪いと言っているのではありません。時にはそれが物事が円滑に進む必要なことでもあります。
でも、こと自分の体に関しては、時には立ち止まり、「何がしたいのか」「どうしたいのか」を聞くことは大切なことなのだなぁと改めておもうのです。そして「やりたくない」と身体が言うのなら、「そうかそうか」と甘やかしてあげることも必要かなと。そしてそれが、案外頭で考えるよりも本質的なことであったり重要なことだったりすることもあります。
甘やかすのとわがままと、この境界線が難しいところではありますが^^;
夏の強いエネルギーに、巻き込まれるように意図しない場所に、気付いたらいた・・・なんていうこともあるかもしれませんね。これからやってくる秋は、そんなお疲れモードの身体にはちょうどいい緩やかなエネルギーかも。
癒してくださいね、自分のこと♪