私はよく、朝の目覚ましが鳴る前に目が覚めます。その時にフッと、本当に「フッ」という表現がピッタリなのですが、言葉が降ってくることがあります。
スピリチュアル的なものとかお告げ的なものとかでは全然なくて、多分普段は頭でばかり考えているけれど、寝ぼけた状態で頭などまだ動くはずもない状態で浮かぶ言葉というのは、きっと心の素の姿と言ってもいいのかもしれません。
そのようにして浮かんだ言葉は「がんばらない」でした。
つい頑張り過ぎる性格
もともと真面目な性格で、普段から自分を鼓舞させる意味もあって「よし、頑張ろう!!」と気合を入れることがよくあります。
それは自分に必要なことでもあるし、せめて言葉だけでも自分にハッパをかけようという意味合いでもあります。
毎朝、ベッドで目が覚めて体を起こす際には「今日も頑張るぞ~」と喝を入れながら起き上がります。
でもよくよく考えてみると、それらはすべて単なる習慣というか、思考回路の定型化というか。こういう場面では「頑張るぞ」と思うものという癖が身についてしまっているだけという気がするのです。
自分への喚起としての「ゆるゆる」
冷えとり健康法を実践する生活を綴っているこのブログも、「ゆるゆる生活日記」とか「ゆるゆる冷えとり」と常に言っていますが、これは自分の性格がよくわかっているからこそ、あえて言っている言葉でもあるような気がします。
ともすれば真面目に頑張ってしまう性格だから、「ゆるゆるやっていこうよ」という自分への戒めや、冷えとりを続けていく上でのモットーを最初に宣言したのかもしれません。
冷えとり健康法は誰にでもできる簡単な健康法ではありますが、簡単だけど一応ちょっとしたルールはあります。
ルールというものはどんな場合においても必要なものですが、私の場合はルールや取り決めがあると、「絶対に間違ってはいけない決まり事」のようにとらえてしまう傾向があります。
もちろんそれは悪いことではないし、効果を得るには一番近道だと思います。
ただ私の場合、結局それが自分の首を絞めることにもなりかねないこともあるのです。
今はそんなことありませんが、冷えとりを始めた頃は夢中だったし新たなことを始める楽しさや、早く結果を出したいという思いから、靴下の枚数をどんどん増やしていったり、半身浴の時間をどんどん長くしていったりしました。
それが心から楽しくてやりたくてやりたくて仕方ないことならいいのですが、どんなことでも最初は良くても長く続けていくとそれが負担になる場合もあります。
靴下は洗い替えを含めて何枚も買い足さなければならなかったし、それに伴って履ける靴がなくなるから買い足さなければならなかったし、半身浴の時間が長引けば寝る時間が削られるし。
私の性格では良かれと思ってやったことが結局自分への負担になることが多いのです。それをわかっているからこその「ゆるゆる」でもあったのです。
ヨガでも頑張り過ぎてしまう
ジム通いもそうです。最初は目新しくて楽しくてやる気満々で・・・毎日2時間レッスンに参加した上に筋トレや有酸素運動も行う生活。
楽しかったし、やればやるだけ体が変わってくるのが楽しくて仕方ありませんでした。そんな生活を1年ほど続けた時、フッと体がしんどくなって、今では当時に比べると格段にジムで過ごす時間が減りました。
それは自分の中で整理をつけたし、今の付き合い方としてはベストな状態なので問題はありませんが、未だにやってしまうことがあります。
それは、頑張り過ぎてしまうこと(^_^;)
ここでもまだやってしまっています。
それはヨガのレッスン中のこと。大好きな先生がいて、その先生のレッスンは絶対に出たいという強い気持ちがあります。レッスンの内容もいいけれど、何より先生がとてもいいのです。
レッスンを通して心がつながる感覚というのでしょうか、魂が癒される(魂という言い方にちょっと引っかかる部分もありますが)というのでしょうか。とにかく癒されるのです。
ただその先生のレッスンはちょっぴりハード。ヨガ自体はゆっくり・ゆったり動くものなのですが、キープ時間が長くて他のどんなレッスンよりも汗をかくし、終わった後の疲労感が半端ない(笑)
でも先生の声や笑顔を見ると、自分の中の心のどこかが確実に癒されていく・浄化されていくというのを感じるので、体は辛くてもついつい参加してしまうのです。
その先生はレッスンが始まる際に必ず、「頑張らないでいいんです。この時間だけは、隣の人と自分を比べず、自分の心の声を聞いてわがままになってください」と言います。
その言葉に大きく頷く私。なのに実際はしんどいと感じるほどに頑張ってしまっている!!
その気持ちを分析してみました。なぜしんどいのに頑張ってしまうのか。そしてわかりました。見栄っ張りだということが。
ヨガのきついポーズを頑張っている時はとても気持ちがいいのですが、心のどこかでは「早くキープ時間が終わってくれないかな」と思っている自分がいます。
先生の言葉でいけば、こういう時に辛いままポーズを続けずにチャイルドポーズをして体を休めればいいわけです。でもそれが私には出来ない。
なぜなら、このクラスの中でこんなに長く通い続けているのは私だけだから、その自分が頑張らないでどうする!?・・・と意味不明なことを(笑)考えてしまうのです。
もちろん多少頑張ることは必要だと思うし、自分が楽にできる範囲を超え、ちょっと頑張る領域に入るからこそ伸びていくのだと思います。だからこそ無理をしてでも頑張ってしまっているのだと思うのです。
でも正直しんどい。
特にヨガに関しては、ましてやこの先生のヨガの時だけは、「しんどい」という気持ちに正直になってもいいんじゃないかな? 自分を許してあげてもいいのでは?
実際、先生のヨガが大好きなのに、ここのところその曜日になると「・・・よし、頑張ろう」
と思っている自分がいます。もうこの時点で心から楽しんでいないということになりますね。
これからもずっとヨガを続けていきたい、だとしたらここらへんで「頑張らないワーク」をしていかないといけないのでは?
手始めにしてみたこと
「頑張らないワーク」の手始めにやったこと、それは朝起きた時に無意識で考える思考回路が出来てしまっている「よし、頑張ろう!」を「今日もがんばらないぞ~」にすること。
なんだかこれまでに比べると気が抜ける気がしますが、むしろ私には気が抜ける方がいいのかもしれません。心や体をゆるめる宣言を朝一番でしてしまおうという作戦です。
普段から、「ここが頑張りどころ」と思っていたシーンでも「ここはがんばらずに、場合によっては見送ってもよし」と思うことで、これまでは見えていなかった何かが見えてくるかもしれません。
ヨガに関しては、いつもなら「ここが頑張りどころ!」と思うチャレンジポーズの時に、「私は一つ手前の楽にできるポーズで止めておこう」と思えるようになったという大きな変化がありました。
それにより体への負担がグンと減り、ヨガを終えたあとの疲労感が全く違うようになりました。ヘトヘトというのではなく、心地よい疲れという感じ。
日本では、頑張ることが良いこととされている傾向があります。もちろんその通りです。私もなんだかんだいって頑張ることが大好きだし、頑張っている自分が好き(笑)
でも、人の目を気にせず、人に迷惑をかけないわがままを自分に許すことで、こんなにも楽になるんだなぁということがよくわかりました。
これからも、力を抜いてあえての「がんばらない」という暮らし方を心がけていこうと思います。