こんなことを言ってしまってはもう元も子もないかもしれませんが・・・
冷えとりをしていると「めんげん」とか「毒だし」とか、なんとなく神がかり的なイメージが付きまとうような気がします。
実際、私も冷えとりを始めた当初は、
「へ~っ!靴下の重ね履きや半身浴をしているだけで、身体の毒素が出て行くんだ!」
と感動すらしました。
が、フト今私はそういうことを目的に冷えとりをしているのではないな~と思いました。
単純に、「靴下をたくさん履いていると暖かいから」、というだけが理由です。
靴下の重ね履きが暖かい!半身浴が気持ちいい♪ただそれでいい
Autumn Light - Syon Park Gardens London / Simon & His Camera
もちろん、自覚はないだけで体の中はちゃんと「めんげん」として処理され、気付かないだけで毒だしされているのかもしれません。もしかしたら、私は大変な罰当たり(笑)なのかも。
でも、冷えとりを続けてきた中で、凝り固まった考えが溶けてきたのは事実。そして、そのおかげで、
「冷えとりをしていればめんげんが出る!毒が出て行く!!」
という「冷えとりの定説」から、ちょっとだけ距離をおいて、俯瞰で見られるようになれました。
だから、定説を信じていた時期も私にとっては必要なことだったと思うのです。
冷えとり健康法に出会い、夢中になって実践していた頃にフト、
「私は一生靴下を10枚も履き続けるのだろうか・・・?」
と、理由のわからない不安に駆られたこともありました。暖かくて気持ちいいとわかっていても、やはり世間的には少々ギャップを感じることも多い冷えとり健康法。
大きいサイズの靴・よそのお宅に上がった際に履けないスリッパ(笑)、義母が不審に思うほどの靴下の枚数・・・
だからといって冷えとりをやめることにも強い抵抗がありました。靴下の重ねばきをしなくなったら、身体がどんどん悪い方向に行くのではないか、とか。
冷えとりに依存し過ぎることの不安。それが常に付きまとうようになったこともありました。靴下を脱ぐと不安になったり。そしてそんなことを気にし過ぎると、
「ストレスは一番の冷えを作る!!」
と焦ったり。
冷えとりを始めて4年目に入りましたが、そんなことを常に考えていました。
が、今年は私の冷えとりの第二章の始まり、と言っていますが、冷えとりの方向性が大きく変化した年。冷えとり健康法だけに頼らずに冷えとりをする、というのが今年の指針となったのです。
そんなことを続けてきた結果、ふっと浮かんだのが、
「そうだ。私は冷えとり健康法で毒を出したいわけでも、めんげんを信じているわけでもないんだ。ただ単純に、靴下の重ねばきをしていると暖かいから履いているんだ」
ということ。
ここまで割り切ってしまうともうせいせいするというか・・・解き放たれたような爽快感がありました。
もう認めてしまおう!という感じ。
毒出しやめんげんを疑っているわけではないけれど、私はただ、暖かくて気持ちいいから履いているだけ。そして、冷えとり靴下の重ね履きだけで冷えとりをしているのではなく、いろいろ実行している冷えを取ることのうちの一つなのだ、と。
冷えとり健康法だけに依存しなくなり、日常に運動を取り入れたことで、
「靴下を脱ぐ不安」
がまず消えました。ちょっとの間だけ靴下を脱いでも(あまりないのですが)、
「運動をして筋力もついてきたから大丈夫!」
と思えるというのは大きな自信につながりました。
そして、くらしきぬさんのよい靴下に出会えたおかげで靴下の枚数が減ったにもかかわらず暖かさは増し、おかげで靴のサイズを気にすることもなくなり、見た目も普通のファッションを楽しめるようになりました。
これは女性として装う楽しみの一つでもありますから、精神的にも常に満たされた状態でいられると思います。
ほどほど、とでもいうのでしょうか。
私にとっての冷えとりは、私にちょうど「ほどほどの」場所を見つけることで、今後も長く続けていけると確信しました。
冷えとり靴下の枚数が多いから良い・少ないから悪いというのではなく、自分の体の声に耳を傾けるとおのずと見えてくるものがあるものですね。
今後私にとっての「ほどほど」は、年齢によっても変わっていくだろうし、筋力が付くことでさらに大きく変わるのかもしれないし。
その都度その都度、情報に流されず「うちなる声」に立ち止り、自分にあった冷えとりを模索し続けたいと思います。